藤掛城 毛利元就も恐れた高橋氏の本拠地
藤掛城は邑南町阿須那にある高橋氏の拠点の城です。
高橋氏は、正平十年(1355)に足利尊氏より領地を与えられ、この地に来たと言われます。
その後、「陰陽の盟主」と呼ばれるほど勢力を拡大し、「三歳のベコの毛の数ほど兵隊を持つ」と恐れられたと伝えられます。
そんな高橋氏の中心拠点にしては、ちょっと小ぶりな山城跡です。削平はしっかりしているので、長期間使われたのでしょうが、堀切もそこまで深くなく、むしろ他の高橋氏の山城の方が堅固と言えます。
これについては諸説ありますが、高橋一族が周囲をしっかり固めていたから、本拠地の城はそこまで大きくなくてもよかった、という説もあります。
とはいえ、藤掛城の主郭(本丸)の中央には櫓台が設けられており、「これは天守台の前身ではないか」と指摘する声もあります。
本当にそんな雰囲気を持ちますが、ただ、主郭の南北を分断しているので、守りの面では面倒な縄張りだと私は思います。
大河ドラマ「毛利元就」の放映時には、結構訪れる人があったそうですが、その後藪化しました。しかし、近年の戦国ブームにより注目され、地元の人によって登山道や案内板が整備されています。
藤掛城の詳細については、以下をご覧下さい。
藤掛城案内板(阿須那公民館前)
仮屋銅鐸出土地 奇跡の発見だ!
邑南町中野地区にあるバス停には、なぜか屋根の上に銅鐸が乗っかっています。
なんで?
そりゃ決まってます。ここで銅鐸が発見されたからです。
そう聞くと「中山古墳群」のことかと思う人がありますが、銅鐸の時代と古墳時代はちょっと違います。
中野の仮屋集落の山の中で、たまたま畑を耕していた翁が地中から銅鐸2個を発見した、という出来事が大正時代にありました。
その二つの銅鐸は「流水文銅鐸」と「袈裟襷文銅鐸」と呼ばれるもので、あまりにすごいので現在東京国立博物館に収蔵されています。
ちなみに、邑南町郷土館に展示されているのはレプリカです。見ればすぐにレプリカだと分かるチャチな作りですけどね。
この奇跡の銅鐸発見物語や出土地についての詳細は、以下でご覧下さい。
出土地の360度写真もGoogleMap上に置いてますので、ご覧下さい。
本城 破城の爪痕を残す山城跡
本城……この地域を一時期支配した高橋氏の拠点なのですが、大変貴重な山城跡です。
というのも、土の城には珍しく、破城の爪痕をくっきり残しているのです。
山頂である主郭(本丸)は、ズタズタに刻み込まれており「二度と使えないようにしてやろう」という強い意志を現在でも感じ取ることができます。
今は相当埋まっていますが、破城当時は相当深く掘り下げたのでしょうね。
この歴史的背景には、おそらくは毛利元就と、その臣下となった出羽氏の思いがあったのでしょう。
特に出羽氏は高橋氏に相当の恨みがあったことでしょう。
そのあたり、詳細は以下のリンクからご覧下さい。
日貫トンネルは心霊スポット?
もう廃道、というか廃隧道になった「旧日貫トンネル」
周囲に民家はなく、実に物寂しい場所にありますし、ここへ向かう道もかなり荒れてきました。
「心霊スポットだ」と言われても仕方がないトンネルではあります。
なにせ、不便なところです。
新日貫トンネルが開通するまでは、この旧トンネルの場所は浜田へ向かう難所でした。
特に冬、積雪があった時には、トンネルに行くまでも坂道を登るまでが大変。車がよく止まっていました。
旧トンネルの開通は昭和30年。それまでは峠越えでしたが、昔の人はよっぽど苦労されたのでしょうね。
旧日貫トンネルについて詳細は以下のリンクでどうぞ
トンネル前での、360度写真をGooglemapにも置いてます。↓